ファインマンさんの肩に乗って晴耕雨読の日々

ファインマンを読んで気付いた事そして日常生活の記録

ベルの不等式 part 1

以下は B.d'Espagnat:" The Quantum Theory and Reality ", Scientific American, Nov. 1979, の和訳「サイエンス(1980年1月号)(別冊58)」p.102「量子論と実在」B.デスパニヤ, の記事から要点を抜き出し, それに補足を付けてまとめたものである.


局所実在論的理論

次の3つの仮定は, いたって明白で自然なものの見方考え方であろう:

  1. ( 実在論 ) 観測された諸現象に見られる規則性は, 人間という観測者とは無関係に存在する何かの物理的実在によって生じている.( 例えば, 電子の位置は人間が測定しなくても何処かの点 $x$ に居るはずだから, 電子位置は値 $x$ を持つと考えること ).

  2. ( 帰納的推論 ) 筋道立った矛盾のない幾つかの観測から妥当な結論を引き出すことが出来る.( 例えば, 一重項状態にある任意の陽子対では, 同一のスピン成分ならどんな成分についても互いに正反対の値を持つと推論すること ).

  3. ( 分離可能性またはアインシュタインの局所性 ) 一方の装置で行われた測定が他の装置で為された測定結果に影響を及ぼさないように出来る.または, いかなる種類の影響も光の速さ以上に速くは伝わることが出来ない.

これらの前提を組み込んでいる理論は全て「局所実在論的理論」と呼ばれる.この理論と量子力学とは異なる予測を行う !.従って, 何れかが間違っていることになる.それを検証する当初の実験はもっぱら思考実験として提案された.しかし近年では, 現実の装置を用いて思考実験の筋立てが実際に行われるようになり, その観察結果の大部分は量子力学の予測を支持するものになっている.そのことから,「局所実在論的理論はほとんど確実に誤っている」という結論に傾いている.

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( 図 1) 局所実在論的理論.局所実在論的理論と量子力学は, 遠く離れた事象間の相関を示すある種の実験に対して矛盾する予測を下す.具体的には, 局所実在論的理論の予測によれば, この種の実験結果は「ベルの不等式」と呼ばれる1つの関係に従うことになるのに, 量子力学はこの不等式の破れることを予測する.この不等式が量子力学の予測通りの仕方で破られているとする強力な実験上の証拠が存在する.従って, 局所実在論的理論は支持し難いものと思われる.また, この種の理論の根底をなす前提の中で少なくとも1つは誤っていることになる.

陽子のスピン成分測定の実験

任意の2つの陽子が一緒になって「シングレット ( 一重項 ) 状態」と呼ばれる量子力学的配置をとると, スピン成分間に厳格な負の相関が観測される.すなわち, シングレット状態に在る 2 個の陽子を離ればなれにしてから, 両粒子について同じスピン成分を測定してみると, このスピン成分は常に一方の陽子ではプラス , 他方の陽子ではマイナスということになるのである.何方の粒子がプラス成分を持ち何方の粒子がマイナス成分になるかを予測する手段は知られていないが, この負の相関は十分に確立されている.そして実験者がどの方向のスピン成分を選んで測定しても, 両粒子について同方向の成分が測られる限り, 話は全く同じである.

スピン成分測定の問題点

簡単な測定実験では, 量子力学の予測と局所実在論的理論の予測との間には何ら矛盾は存在しない.しかし, もう少し手の込んだ実験にすると矛盾が起こり得る.ある粒子のスピンを表わすベクトルは, 空間の3方向の軸成分によって定義される.ただし, その空間軸たちは必ずしも互いに直交している必要はない.このとき, 巨視的物体に付随するベクトル量の場合では,3成分の全てがあらゆる時点で確定値を持つことは十分に理由があり当然の事とすることが出来る.つまり, 仮にある成分値が分かっていない事があっても, それが「定義されていない」ということは有り得ない事である.ところが, 量子力学的粒子の場合では「スピン3成分の値すべてが同時刻に確定した値を持つことは原理的にさえも不可能となる」.単一の装置で測定できるのは 1 つのスピン成分だけである.しかもその測定を行うことで, 一般に他の成分値の幾つかは変化してしまう.従って, 3つの成分値を知るためには3つの測定を順繰りに行なわねばならない.しかしその場合, 粒子が最後の装置から飛び出して来るとき, 一般に粒子は最初の装置に飛び込んだときのスピン成分と同じものをもはや持ってはいない. *1

量子力学的粒子では一度に2つ以上のスピン成分を測定できないけれども, 3空間軸のうちの 1 方向のスピン成分ならば, それを任意の方向で測定できるような装置を作ることは可能である.以下ではこれらの軸を $A$, $B$, $C$ で示し, 実験の結果は, $A$ 軸方向のスピン成分がプラスなら $A^{+}$, また $B$ 軸方向のスピン成分がマイナスなら$B^{-}$, などと書くことにする.ただしこれらの実験では, どの陽子も1つ以上のスピン成分の測定にはかけられないことに注意する.

ベルの不等式

シングレット状態にある2つの陽子に厳格な「負の相関がある」というのは, 両方の陽子について同一のスピン成分を測る場合にのみ期待される.では,「異なった成分を測定するように幾つかの装置が用意されているときには, どんなことが起こるであろうか ? 」.話を正確にするために, 次のような実験を考えてみる.前に述べた実験で利用されたのと同じ方法を使って一緒にされた幾つかの陽子対がシングレット状態を作っている.それらは, 前と全く同じ条件の下で離ればなれになって行くようにしてあるとする.次に, $A$ か $B$ か $C$ かのたった1つのスピン成分について各々の陽子をテストする.ただし3成分のどれを測るかは全くデタラメに決めるものとする.そして偶然に両方が同じ成分を測る場合は, 結果は自明なので無視する.すると残った対の組み合わせは $AB$, $AC$, $BC$ であり, 観測された対の個数を例えば $n[A^{+}B^{+}]$ などと表わすとする.このとき, それらの量の間に1つの関係があることを 1964 年に CERN の J.S. Bell が発見した.すなわち, 局所実在論的理論の教義を受け入れて上述の実験条件が与えられたならば,$A^{+}B^{+}$ 対の個数は $A^{+}C^{+}$ 対の個数と $B^{+}C^{+}$ 対の個数の和を超えない, つまり, $ \def\ket#1{|#1\rangle} \def\bra#1{\langle#1|} \def\BK#1#2{\langle #1|#2\rangle} \def\BraKet#1#2#3{\langle#1|#2|#3\rangle} \def\ppdiff#1#2{\frac{\partial #1}{\partial #2}} \def\odiff#1{\frac{d}{d #1}} \def\pdiff#1{\frac{\partial}{\partial #1}} \def\Bppdiff#1#2{\frac{\partial^{2}#1}{\partial #2^{2}}} \def\Bpdiff#1{\frac{\partial^{2}}{\partial #1^{2}}} \def\mb#1{\mathbf{#1}} \def\ds#1{\mbox{${\displaystyle\strut #1}$}} \def\mfrac#1#2{\frac{#1}{#2}} $

\begin{equation} n[A^{+}B^{+}]\le n[A^{+}C^{+}]+n[B^{+}C^{+}] \label{eq1} \end{equation}

という不等式が成り立つことを発見したのである.記号を入れ替えた他の類似した不等式も成り立つ.

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(図 2) 陽子などのスピン成分の測定によってベル不等式をテストしようとする思考実験を示す. シングレット状態にある 1 つの陽子対が, バラバラになって 2 つの陽子として反対方向に飛び出して行く. 事象調整用の検出器が, 狙い通りの陽子対が放出される毎に 1 つのシグナルを発してくれる.次に各陽子は分析器に入り, 分析器によって定義されている軸方向のスピン成分の値に応じて運動方向が曲げられ, 二つの検出器の一方に送り込まれる.

ベルの不等式の証明

このベルの不等式は, 局所実在論的理論の文脈の中で, 数学的な集合論を用いることにより証明することが出来る.それには, 事実に反する1つの仮定から出発するのが都合がよい.すなわち, ある単一粒子のスピンの2つの成分を独立に測定するような手段が存在するものと仮定するのである.( 実際には, 単一の装置で同時に測定できるのは一つのスピン成分だけであり, しかもその測定を実行するならば一般に他の成分値は変化してしまうのだった.しかし, 例えば $A$ 成分を測定したとき $C$ 成分は不定ではあるが, それは必ずプラスかマイナスの何方かのはずであり, それを考慮するだけである ).この実際には有り得ない装置によって, ある特定な陽子がスピン成分 $A^{+}$ 及び $B^{-}$ を持っていることが明らかになったものとしよう.このとき, 第3の成分 $C$ は未だ測られていないけれども, それはプラスかマイナスのどちらかである.従って, この測定済みの陽子は, スピン成分 $A^{+}B^{-}C^{+}$ を持つ集合か, スピン成分 $A^{+}B^{-}C^{-}$ を持つ集合, の何れかに属する.スピン成分 $A^{+}B^{-}$ を持つ陽子が十分多数検出されたとする.そのようなスピン成分を持つ各陽子の個数を $N(A^{+}B^{-})$ という記号で表そう.すると, それらの個数についての方程式は次のように書くことが出来る:

\begin{equation} N(A^{+}B^{-})=N(A^{+}B^{-}C^{+})+N(A^{+}B^{-}C^{-}) \label{eq2} \end{equation}

この式は, 「粒子のある集合が 2 つの部分集合に分割されると, 元の集合中の粒子総数は部分集合中の個数の和に等しい」という事実を述べているに過ぎない. ここで, 前に示した記号 $n[A^{+}B^{-}]$ は, 陽子対の一方が成分 $A^{+}$ を持ち, 他方が成分 $B^{-}$ を持つ陽子対の個数を表すものであった.上式中の $N(A^{+}B^{-})$ との違いに注意する.

ここで議論をもう一段階進める.陽子個数 $N(A^{+}C^{-})$ について, 次が成り立っているとする:

\begin{equation} N(A^{+}C^{-})=N(A^{+}B^{+}C^{-})+N(A^{+}B^{-}C^{-}) \label{eq3} \end{equation}

すると $N(A^{+}C^{-})$ は $N(A^{+}B^{-}C^{-})$ よりも大きいか, 或いは少なくとも相等しくなっていなければならないから次式が言える:

\begin{equation} N(A^{+}C^{-})\ge N(A^{+}B^{+}C^{-}) \label{eq4} \end{equation}

これは上述と同様に, 「全体の一部は元の全体より大きくは成り得ない」ことから当然な式である.同様な議論から, 陽子個数 $N(B^{-}C^{+})$ については次が言えるはずである:

\begin{equation} N(B^{-}C^{+})=N(A^{+}B^{-}C^{+})+N(A^{-}B^{-}C^{+})\quad\rightarrow\quad N(B^{-}C^{+})\ge N(A^{+}B^{-}C^{+}) \label{eq5} \end{equation}

以上の式(4) と式(5) を式(2) の右辺に代入すると,

\begin{equation*} N(A^{+}C^{-})=N(A^{+}B^{+}C^{-})+N(A^{+}B^{-}C^{-}) \le N(A^{+}C^{-})+N(B^{-}C^{+}) \end{equation*}

よって次が言える:

\begin{equation} N(A^{+}C^{-})\le N(A^{+}C^{-})+N(B^{-}C^{+}) \label{eq6} \end{equation}

この不等式は, 全く形式的に導出されたけれども, 単一陽子のスピンの2つの成分を独立に測定するような装置は実際には存在しないのであるから, これを実験でテストすることは出来ない.

しかしながら,「これまで考えて来た実験は, 個々の陽子に対してではなくて, 相関を持つ陽子対に対して行われており, その場合には, そのような不可能な測定を行う必要はないのである」.ある陽子ペアの 1 陽子が $A$ 方向のスピン成分の測定に掛けられて, その結果 $A^{+}$ という値を持つことが分かっているとしよう.この粒子についてはこれ以外に測定は何ら行われない.ただし, この粒子がシングレットを組んでいる相方の方の陽子は $B$ 軸方向のスピン成分についてテストされ, その結果 $B^{+}$ であることが分かったとしよう.後の測定は, 陽子たちがある時間かかって離れていった所で行われるものとする.この測定が, まさに最初の陽子の状態について補足的な追加の知識を伝えてくれる.具体的に言えば, 厳格な負の相関の存在は,「最初の陽子が直接測定によってスピン成分 $A^{+}$ を持つことがすでに分かっているけれど, それはスピン成分 $B^{-}$ も持っていなければならない」ということを意味するのである.

このような方法により,「一方は $A^{+}$ 成分を持ち他方は $B^{+}$ 成分を持つような陽子対の観測」は,「成分 $A^{+}B^{+}$ を持った一つの陽子の存在を示す信号」として利用することが出来るのである.さらに, 統計的な議論からは, 次のことも証明することが出来る: 「両方がプラス成分を持ったペアの個数 $n[A^{+}B^{+}]$ は, スピン成分 $A^{+}B^{-}$ を持った個々の陽子個数 $N(A^{+}B^{-})$ に比例しなければならい」. 同様なやり方で,$n[A^{+}C^{+}]$ は $N(A^{+}C^{-})$ に比例するべきこと, そして $n[B^{+}C^{+}]$ は $N(B^{-}C^{+})$ に比例するべきであることも示される.これら 3 つの全ての場合で, 比例定数 $\gamma$ は同じである.仮想的なダブル観測を受けた個々の陽子については, すでに不等式が成り立つことが証明されている.すなわち,$N(A^{+}B^{-})$ は 2 項の和 $N(A^{+}C^{-})+N(B^{-}C^{+})$ よりも大きくはなれないことが示されている.すると今や, これらの「測定不可能な量」は, それに相当する「観測可能な両方プラスの陽子ペアの個数」で置き換えることが可能である:

\begin{align*} &n[A^{+}B^{+}]=\gamma N(A^{+}B^{-}),\quad n[A^{+}C^{+}]=\gamma N(A^{+}C^{-}),\quad n[B^{+}C^{+}]=\gamma N(B^{-}C^{+}),\\ &N(A^{+}B^{-})\le N(A^{+}C^{-})+N(B^{-}C^{+}),\\ \rightarrow&\quad \frac{1}{\gamma}n[A^{+}B^{+}] \le \frac{1}{\gamma}n[A^{+}C^{+}] + \frac{1}{\gamma}n[B^{+}C^{+}] \end{align*}

その結果, 次の式が得られる:

\begin{equation} n[A^{+}B^{+}]\le n[A^{+}C^{+}]+n[B^{+}C^{+}] \label{eq7} \end{equation}

これが式\eqref{eq1} に示した「ベルの不等式」である.

J.J. Sakurai による ベルの不等式 (7) の導出

観測者 $\alpha$ が粒子1 を, そして観測者 $\beta$ が粒子2 のスピン成分を観測するとき, 二人の観測者の観測結果の場合の組合せは (表 1) のようになる.

(表 1) 量子力学に代わる理論でのスピン成分の組合せ

対の分布数 観測者$\alpha$ (粒子1)  観測者$\beta$ (粒子2)
1 $N_1$ $(A^{+},B^{+},C^{+})$ $(A^{-},B^{-},C^{-})$
2 $N_2$ $(A^{+},B^{+},C^{-})$ $(A^{-},B^{-},C^{+})$
3 $N_3$ $(A^{+},B^{-},C^{+})$ $(A^{-},B^{+},C^{-})$
4 $N_4$ $(A^{+},B^{-},C^{-})$ $(A^{-},B^{+},C^{+})$
5 $N_5$ $(A^{-},B^{+},C^{+})$ $(A^{+},B^{-},C^{-})$
6 $N_6$ $(A^{-},B^{+},C^{-})$ $(A^{+},B^{-},C^{+})$
7 $N_7$ $(A^{-},B^{-},C^{+})$ $(A^{+},B^{+},C^{-})$
8 $N_8$ $(A^{-},B^{-},C^{-})$ $(A^{+},B^{+},C^{+})$

表より, 観測者 $\alpha$ が $A^{+}$ を見出し, 観測者 $\beta$ が $B^{+}$ を見い出す場合の数は $N_3+N_4$ である.このとき, 式\eqref{eq2} より

\begin{equation} N_3+N_4=N(A^{+}B^{-}C^{+})+N(A^{+}B^{-}C^{-})=N(A^{+}B^{-}) \label{eq8} \end{equation}

が言える.このとき (表 1) から, 観測者 $\beta$ が観測するのは明らかに $B^{+}$ である.よって次が言える:

\begin{equation} N_3+N_4=N(A^{+}B^{-})=n[A^{+}B^{+}] \label{eq9} \end{equation}

同様に, 式\eqref{eq3} に相当する関係からは次が言える:

\begin{equation} N_2+N_4=N(A^{+}B^{+}C^{-})+N(A^{+}B^{-}C^{-})=N(A^{+}C^{-})=n[A^{+}C^{+}] \label{eq10} \end{equation}

そして同様に次も言える:

\begin{equation} N_3+N_7=N(A^{+}B^{-}C^{+})+N(A^{-}B^{-}C^{+})=N(B^{-}C^{+})=n[B^{+}C^{+}] \label{eq11} \end{equation}

以上の結果式(9), 式(10), 式 (11) を式\eqref{eq6} に代入すると「ベルの不等式」\eqref{eq7} を得る:

\begin{equation} n[A^{+}B^{+}]\le n[A^{+}C^{+}]+n[B^{+}C^{+}] \label{eq12} \end{equation}

ただし J.J. Sakurai では, 粒子数を全体の粒子数 $N=\sum_i^{8}N_i$ で割り算することで, 次のような確率の式としている:

\begin{align*} &P(A^{+}B^{+})=\frac{N_3+N_4}{\sum_i^{8}N_i},\quad P(A^{+}C^{+})=\frac{N_2+N_4}{\sum_i^{8}N_i},\quad P(C^{+}B^{+})=\frac{N_3+N_7}{\sum_i^{8}N_i},\\ &N_3+N_4\le (N_2+N_4)+(N_3+N_7)\quad\rightarrow\quad \frac{N_3+N_4}{\sum_i^{8}N_i}\le \frac{N_2+N_4}{\sum_i^{8}N_i}+\frac{N_3+N_7}{\sum_i^{8}N_i}, \end{align*}

従って, 確率式としての「ベルの不等式」は次となる:

\begin{equation} P(A^{+}B^{+}) \le P(A^{+}C^{+})+ P(B^{+}C^{+}) \label{eq13} \end{equation}

*1: V.J.ステンガー:「宇宙に心はあるか」(p.100) には, 次のような記述がある:

角運動量の成分は, 古典力学でも同時には測定できない.大学院向けの古典力学の教科書として最も広く使われているゴールドスタインの本にはその証明まで載っているのだが, ほとんどの物理学者はこのことを忘れているようだ.角運動量の各成分を, それぞれの軸の周りの回転角に対して正準共役な運動量と見做せば, 与えられた時刻に保存するのはただの一つの成分だということが示せるのである.量子力学の文献でこれについて論じられているのを私は見たことがない.どの文献も, 角運動量が両立しないという性質を量子力学的な現象のせいにしているのである.

そこで H.Goldstein:「Classical Mechanics」をちょっと見たら,p.419 の脚注に次のような文章が書かれていた:

量子力学的交換子は $\hbar\to0$ のとき本質的に古典力学ポアソン括弧に近づいて行くというのが量子力学古典力学の間の対応性であることを前に述べた.量子力学の形式的構造の多くは, 古典力学ポアソン括弧公式の忠実な写しとして創造された.従ってこの節の結果のすべては, それに近い量子力学的類似物を持っている.例えば,「$\mb{L}$ の2個の成分は, 同時に正準運動量であることは出来ない」という事実は「 $L_i$ と $L_j$ は, 同時に固有値を持つことは出来ない」というよく知られた表現として出現する.しかし $L^{2}$ と任意の $L_i$ は一緒に量子化することが出来る.$\cdots$

これを読むと,「角運動量の各成分は同時に正準運動量となることは出来ない」ので「それらは同時に運動の定数すなわち保存量となることは出来ない」とは言っているであろう.それは, ポアソン括弧を $[\ ]$ としたときの次の二つの関係式:$\dot{L}_i=[L_i,H]$ そして $[L_i,L_j]=\varepsilon_{ijk}L_k$ とから言えることである.然しながら, このことから「角運動量の成分は, 同時に確定した値として測定することは出来ない」ことが言えるのであろうか ?.疑問に思えたことである.